「日本的エロティシズムの眺望」 | 月灯りの舞

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自虐なユカリーヌのきまぐれ読書日記

「日本的エロティシズムの眺望
   ―視覚と触感の誘惑」
  元田 與一:著
  鳥影社ロゴス企画/2006.9.20/1900円



日本的エロティシズム

日本人は裸体に関心がなかった!?

日本の美意識はいかにしてつちかわれたのか。
西洋や中国の絵画と比較しながら、
その独自性に迫る。  <帯より>



日本のエロティシズムというものを
「視覚」と「触感」から探っていくまじめな本。



古典文学や浮世絵など、日本の文化における
表現方法を論述しながら、日本のもつエロティシズム
というものを語っていく。

時代ごとに変化していく様や、西洋や中国との
絵画や文化などと比較して、日本独自のものを
分析していく。


まずは「エロティズム」ということの概念が
様々な観点から述べられる。



バタイユによれば、“人間と動物とを分かつ
性衝動の認識”であり、“死の認識がエロティシズムの
深淵をいっそう深めもする”とのべ、
エロティシズムと死の密接な結びつきを示している。

フランスの評論家デュカは、“愛欲において
生殖に関わらないものを、全てエロティックとしてもいい
だめう”と強調している。

これらの考え方をふまえて澁澤龍彦が定義しているのは
セクシャリティとは生物学的な概念であり、
 エロティシズムとは心理学的な概念である



西洋では「裸婦像」というのは当たり前のように
描かれてきたが、日本では「裸体像」というのが
生まれなかったのは、男たちが等しく欲情するに
いたる典型的モデル像がなかったからだとある。



西洋のように女の裸が芸術であり、美の典型である
「ヌード」という考え方がなかったという。

日本独自のエロティシズムは
ひかえめでほのかなものが成り立って
いったという。
部分露出いわゆるチラリズムである。



「視覚」によるエロティシズムの中では、゜
絵画の“正面視線”について書かれていたのが
興味深かった。

絵画に描かれた人物の視線が、絵画を見ている
ものを見ていることで、エロティシズムが増す、
見ているものが見つめられているという感覚。

日本の絵は、斜めに視線をはずしたものが多い中、
キリリとこちらを見つめている視線は挑発
されているようでなまめかしいのだ。



「触覚」のところでは、肉体におけるエロティシズム
の意味に正面きってせまった最初の文芸作品として
近松の「曽根崎心中」があげられて、かなりの深く
この作品のエロティシズムについて語られている。
男が女の脚に触る、女が男の手を自分の懐に入れると
いうような、触感を見せるところがエロティシズム
だという。

浄瑠璃として上演された時、“半畳を濡らした”と
言われている。
女たちが上気に欲情して陰部を濡らしたほどなのだと。


春画のように、性器と性器が結合している
大胆なまぐわいの絵より、浮世絵のような
ほのかに着物のすそが風になびいて太ももが
あらわになったりしているチラリズムの方が
欲情するなあ。


参考文献も多くて、内容が濃いのでちよっと難しい
のだけど、資料として、絵画がけっこう掲載されてて
楽しい。