ドキュメンタリーは嘘をつく | 月灯りの舞

月灯りの舞

自虐なユカリーヌのきまぐれ読書日記

ドキュメンタリーは嘘をつく

  森達也:著

  草思社/2005.3.22/1700円

ドキュメンタリーは嘘


絵画、音楽、小説、舞台劇、彫刻、短歌などあらゆる
表現ジャンルが「その作者である一個の主体によって
切り取られた世界(現実)の断片を素材としながら、
加工され再構築された世界観、あるいはその
メタファー(暗喩)」と定義されるなら、
その加工の薄い報道写真というジャンルは、
表現行為においてどうなのだろうと……という
疑問のなげかけで始まる。



自らが正であると思い込んだメディアの暴走、
ドキュメンタリーを事実の記録とみなす幻想
など作者が、「ドキュメンタリーを創る」
という環境に身をおいてきたからこそ感じた
体系的考察が語られていく。



ドキュメンタリーという分野においても
それは「表現行為」と位置する作者において、
表現行為というエゴスティックな作業を
続けながら組織に帰属することの矛盾

を感じ続ける作者の想いが伝わる。

ミゼットプロレス、見世物小屋、佐川くん、
などタブーとされているものについても
書かれている。



自ら、「報道」に加わったものとしての
“モザイクなしで被写体を晒すことを、
他者への加害」”としてとらえ、
躊躇し、“妥協と挫折ばかりのドキュメンタリー
人生だ”と語る。



フィクションであり、ノンフィクションであれ、
映像という仕事に従事する人ならそのほとんどは、
自分たちが大嘘つきであることを知っている。


「全ての映像はドキュメンタリーである」
ゴダールが発言した真意はここにある。
……という言葉は印象的であった。



「陽の目を見なかった企画」のところの
“見世物小屋の蛇娘”や“野村沙知代”の話は
おもしろい。
男性誌には必ずといっていいほど、掲載
されている“美容整形の包茎手術”をみて
「包茎共同幻想論」の企画“を思いついた
という著者。


社会問題として喚起できると言うが、
実際我に返って“画(え)はどうしますか?”
と尋ねられた時、だいたいそこで話は終わる
……というところはおもしろかった。


いや、それは私が女性だからだろうか。
ダイエットの前と後、顔の美容整形の前と後は
すごく画的にいいのだろうけど、確かに
それは見せられないなあと。